天川村について~歴史、名称の由来など

奈良県・天川村は紀伊半島の中央部に位置し、村の面積の4分の1が吉野熊野国立公園に指定されています。近畿最高峰の八経ヶ岳をはじめとする名峰連なる大峯山脈を擁し、源流域のその一滴は渓谷を渡る清冽な清流となって、名瀑をはじめとした美しい自然景観をつくり出しています。

人々はいにしえから山岳や奥深い自然に対し畏敬の念を抱き守りつづけてきました。2004年にはユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録され、天川村はその主要な構成要素である「大峯奥駈道」・霊場「吉野・大峯」の一部を擁しています。おおよそ1300年前に役行者によって開かれた修験道発祥の地である霊峰大峯山(山上ヶ岳)には、今も多くの修験者が修行に訪れています。


天川村は紀伊半島中部に位置し、周囲は大峯山系の山々に囲まれ、谷間の集落は441m~820mの標高にあります。

気温は奈良盆地より3~5度低く、夏は過ごしやすく冬は雪景色を楽しむこともできます。

また歴史も深く、役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする修験道や、国の政(まつりごと)の中心人物たちと深い関わりをもちつづけた秘められた歴史は、地域の伝承として受け継がれています。


天川村はその地理条件から古くは人々が定住するには至らなかったようです。また神々が生まれ住まう場所とされる高天原に由来する「天の川」という名がこの辺りの河谷に名付けられたという伝承があり、この地域は定住することがはばかられた一種の聖域だったとも考えられています。

このことが、修行者たちの「行場」を開くきっかけとなり、約1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)により大峯開山がなされて以来、山岳修験の根本道場として栄えてきました。

末法思想のひろがる平安時代には、菅原道真や藤原道長をはじめとする権力者から庶民までが熱心に御岳詣(みたけもうで)を行いました。

弘法大師空海との関わりも深く、大峯山で修行した後、高野山へ至ったその道程には、空海にまつわる多くの史跡・伝承が残されています。

南北朝時代には、南朝方の重要な拠点として後醍醐天皇ら南朝天皇を擁護し続け、課役免除の綸旨が残されています。


「天川(てんかわ)」の名は、天河大辨財天社の古名「天の安河の宮」に由来するとされています。

大峯連山のひとつ弥山に祀られた弥山大神の歴史もきわめて古く、天河大辨財天社の隆盛とともに聖域化され、「天ノ川」という河川名が生まれたといわれています。

天川村は自然と歴史にかたち作られ、今もその歴史を刻んでいます。


(天川村公式サイトより引用)


0コメント

  • 1000 / 1000